リアル”図書館戦争”を考える―戦時下の図書館は自由を守るために戦ったのか


本日4月27日(土)から、有川浩原作・映画図書館戦争の全国ロードショーが始まりました。

(photo by The U.S. Army

舞台は「公序良俗を乱し、人権を侵害する表現を取り締まる法律」として成立した「メディア良化法」が「すべてのメディアの監視権」を持つ検閲の道具となり、不適切としたメディアを自在に排除出来るようになってから30年が経過した近未来の日本。

メディア良化法を運用する「メディア良化委員会」とその実行組織「良化特務機関(メディア良化隊)」は年々強権的な言論弾圧を強めてきた。 図書狩りに対抗して、公共図書館は蔵書の収集所蔵と提供の自由を守るため、「図書館の自由に関する宣言」を元に成立した「図書館の自由法」を盾に、武力に対して武力で抵抗する「図書隊」を創設し、激しい抵抗を続けている。
(あらすじはWikipediaより)

この作品の原点でもある「図書館の自由に関する宣言」。これは日本図書館協会が採択した、実在する宣言です。

図書館の自由に関する宣言
 第1 図書館は資料収集の自由を有する
 第2 図書館は資料提供の自由を有する
 第3 図書館は利用者の秘密を守る
 第4 図書館はすべての検閲に反対する
図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。

採択されたのは1954年、第二次世界大戦が終結して約10年後です。
ではリアル戦時中、日本の図書館はどんな様子だったのでしょうか。

図書館で、1冊の本を見つけました。
清水正三編戦争と図書館(白石書店)。
1977年に発行されたこの本の記述から、リアル”戦争”の中の図書館を見ていきたいと思います。

戦前、図書館令により中央図書館体制が布かれる

日本が国際連盟を脱退した昭和8年(1933年)、「図書館令」が大幅に改正されました。改正の要点は大きく4つでしたが、注目すべきは2つ。私立図書館の認可制と中央図書館制度が新設されたことだったそうです。

中央図書館制度でいうところの「中央図書館」は、現在の、自治体に複数の図書館がある場合に中心的役割をなす、というものとは性格が異なります。「「中央図書館制度」というのは、条文上は都道府県を単位に、中央図書館が管下の図書館を指導・連絡・統一をはかるという名目であったが、本質は、戦時文化統制の一環としての図書館統制であった。(41ページ)」
自治体の組織に関係なく、文部省の指定した中央図書館が存在することになったのです。

私立図書館が認可制となった背景には、「私立図書館中には堂々公立図書館を凌ぐものもあるけれども、概ね貧弱なものが多く、動もすれば図書館の美名に副はぬものさへあるやうな有様で、私立図書館を放任することにより、延いて公立図書館の質を低下せしめ、其価値を疑はしむる虞があるに至ったので、今般の改正をみたわけである(31ページ)」という建前があったようです。

しかし実際には、発禁書の統制をするための認可制だったようです。中央図書館制度と合わせて、国民の思想を戦争に都合の良い方向に導くための改正だったのでしょう。

戦時中、多くの図書館は思考を停止。数多の図書が闇に葬られた

図書館令の改正された翌昭和9年(1934年)、今度は「出版法」が改正されます。罰則行為の対象に、新たに「皇室ノ尊厳ヲ冒瀆」する出版行為と「安寧秩序ヲ妨害スル出版行為」が加えられました。筆者は「このような状況が、図書館における図書選択の自己規制を招き、読書の自由を侵していったことは明らか(66ページ)」だと述べています。

ある図書館では図書購入費の80%が産業関係図書になったり、ある図書館では蔵書の中に『マルクス主義の根本問題』などが含まれていたことで館長が市議会にに攻撃されるという事件も起きたそうです。

「少なくも公共図書館では、「保留」あるいは「任意提出」というかたちで、特定の資料が国民の目から隠されていたったことは事実である。しかも、これらの事実は、ほとんど新聞記事として報道されなかった。(67ページ)」

また「戦前の図書館では、現在多くの図書館が採用している開架式を採用している館は少く、町村の小図書館に至るまで出納式の図書館が多かった。それらの図書館は、ほとんど「閲覧票」を使用しており、利用者(閲覧者)は、入館に際して、その閲覧票に住所、氏名、職業、借用する図書名、そして年齢まで書かなければならなかった。(中略)閲覧票は金券視され、また統計資料として図書館に一定期間保管された。(82ページ)」

つまり、誰がどんな本を読んだのかがわかるようになっていたということ。「この閲覧票が、警察や憲兵隊からの思想調査の対象となった。(82ページ)」とあるように、一定の図書を読んだ人を探すようなことも行われていたようです。

特定の著者への執筆禁止や、警察からの度々の「閲覧禁止図書」通知により図書を倉庫に放り込むなど、戦争に都合の悪いものは市民に提供されなくなっていきました。多くの図書館は、声を上げるでもなく、黙々とその方針に従っていきます。

「戦争中、官憲による図書没収等に協力し、または無関心であった図書館は、敗戦後、連合軍の進駐に伴い、再び同じ過ちをおかした。(80ページ)」とあるように、終戦後も同じことが起こっていたことがわかります。

思想の自由を守ろうと戦う図書館もあった

しかしその一方で、官憲のやり方に疑問を持ち、人々の自己学習・知る権利を守ろうとする図書館もありました。

社会主義者、共産主義者を弾圧、1600人を検挙した三・一五事件が起こった昭和3年(1928年)、第22回図書館大会が実施されました。この大会に対して文部大臣から「輓近我ガ国ニ於ケル思想ノ趨向ニ鑑ミ図書館ニ於テ特ニ留意スベキ事項如何」という諮問が行われ、大会で答申案が報告されました。答申案には、図書館自らが図書の検閲を実施する旨の文言が盛り込まれていたのです。これに多くの図書館員が反発します。検閲すべきではない、図書選択はそれぞれの図書館が基準を定めればよい、良書・悪書の判断は何に基づいて誰が行うのか、等。そうして答申案は修正されることとなりました。

(しかし、修正案でも結局、図書選定は文部省頼み、検閲は強化する方向になってしまったようです。)

また、弾圧の歴史を日誌に記録した図書館もありました。警察等の手から図書を守り抜いた図書館もありました。「東京の芝増上寺境内にある「三康図書館」には、「憲秩紊本」と称する図書が多数所蔵されているとのことである。この本は戦時下の言論弾圧の中で、基本カードをかくして押収を免れた本だそう(77ページ)」です。

こうした人たちの尽力に敬意を表し、反体制的な図書が喪失しなかったケースもあったようです。

戦後の図書館と「図書館の自由に関する宣言」

50年代の前半、アメリカでは「赤狩り」が行われ、図書館もその影響を受けます。同じ頃、日本でも警察による書店や図書館での「読書調査」が行われる事件があり、図書館界で問題となってきました。これを機に「図書館の中立性」に関する議論が起こりました。

また、昭和25年(1950年)には、図書館令にかわって「図書館法」が制定されます。

このような機運の中、昭和29年(1954年)の第7回全国図書館大会において「図書館の自由に関する宣言」が採択されるに至ります。「思えば、日本の図書館界は、このときはじめて、従来の「思想善導」機関から、民衆の知的自由を確保する機関へと脱皮するため、「図書館の自由」の旗幟を高く掲げたといってよい。(85ページ)」

図書館が新しく生まれ変わった瞬間だったのかもしれませんね。

図書館の歴史や戦時中のことをもっと知りたい方は

簡単にまとめましたが実は奥が深いリアル図書館戦争のお話でした。
映画「図書館戦争」を見たら、図書館でもっと深く、図書館のこと調べてみませんか。
今回ご紹介した内容は、『戦争と図書館』のほんの一部です。
本書には、図書館長を務めた方の手記や、新聞記事の抜粋なども掲載されています。詳しく知りたい方は、ぜひ『戦争と図書館』にあたってみてくださいね。

また、他にも参考になりそうな資料をあげますので、こちらもぜひご参照ください。

戦争と図書館』 清水正三編 白石書店 1977年
千代田図書館八十年史』 東京都千代田区 1968年
図書館の政治学』 東條文規 青弓社 2006年
東京の近代図書館史』 佐藤政孝 新風舎 1998年
他、図書館史

※この記事は、杉山@カーリルが『戦争と図書館』を読んでまとめたものです。事実関係など多少理解が間違っている部分があるかもしれませんが、そっとご指摘頂けたら幸いです。なお、資料収集にあたっては、千代田区立千代田図書館を利用させていただきました。

(杉山@カーリル

<関連リンク>
映画「図書館戦争」公式サイト
図書館の自由に関する宣言
図書館法